濃尾平野の地史(9)

猪高相は昭和区天白町や千種区猪高町の丘陽に露出する地層で代表される。
砂れき層、砂層、シルト層の互層にわずかな火山灰層と亜炭層が伴う、前記の2相との主な差は砂れき層中に風化してくさりやすい白色のれきがかなり多く含まれること、風化して地層が赤かっ色ないし帯紫桃色となることなどである。
砂れき層はチャートのれきを成分とするが、白いれきのほかにシルト岩やホルンフェルスなどの円れきを含む。天白町でほはとんどシルト層をはさまず,厚さ20m近くなるところもある。猪高町より北ではれきはすくない。
千種区の平和公園北では砂層とシルト層とが互いに構に変化しているのが著しく目につく。

東海湖の歴史は静かな沈降によって,準平原の凹地に瀬戸陶土層が堆積するという段階から始まった。やがて地塊の傾動運動は激しくなり,後背地の急速な隆起が多量のれきを供給することになり、水野相が発達し、濃尾平野の沈降につれて盆地の中心部には泥と砂を主体とした尾張爽炭相の地層が厚く堆積した。洪積世に入ってから、全般的な上昇運動により、ふたたび砂やれきからなる猪高相が堆積し,東海湖は次第にうめたてられて消滅する。そして河川の浸食によって平たん化され、さらには丘陵化していく。養老山脈の東のふもとを走る養老断層、多治見市笠原の南から西南西に走る笠原断層、尾張と三河の境近くを南西に走る猿投・境川断層などが明確な形となって現われると、それまでの東海湖域はいくつかの盆地に分解していく。

 

 

濃尾平野の地史(9)」への5件のフィードバック

  1. 初めまして。gadと申します。
    現在、私は西区貝田町に住んでるのですが、4tトラック程の比較的小さなトラックが通るたびに、道路の段差で家がけっこう揺れます。
    これはやはり、貝塚で地盤が緩いって事なんですかね??

    • 調べたところ、西暦717年の古地図では海でした。現在の地盤は海抜0メートル以上の沖積平野で液状化可能性「中」の軟弱地盤です。

      • お返事ありがとうございます。
        古地図まで調べて下さり恐縮です・・・。

        東日本大震災を機に、災害に弱い地域はある程度なら地名から推測できる事を聞いたので気になっていました。
        将来、家を建てる時は古地図の状況や、過去の水害等を調べた上で建てるようにしたいと思います。
        ありがとうございました。

  2. 名古屋市内の発掘作業での地層に興味が湧き今後の足掛かりができました。非常に興味深いです。那古や城並びに名古屋城を築上する時に熱田層並びに熱田台地を意識したのでしようか?

    • 意識していると思います。
      先にも書きましたが、濃尾平野は西暦717年の古地図では海だったため、軟弱地盤で築城には向かない土地です。しかし、濃尾平野西部の熱田台地に限っては、1300年以上も前から存在する地層であり、北側、西側に広がる低湿地帯に比べて地盤が非常に頑丈です。名古屋城は、舌状に南北に延びた熱田台地の西北端に築かれ、北側と西側が足場の悪い湿地に繋がる崖となっていて攻め難い強固な城となるよう計算されて建てられています。

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