濃尾平野の地史(11)

八事層は古生層のチャートのれきを90%以上も含んでおり、れき種のかたよる点でほ唐山層よりはなはだしい。その他のれきとしては石英斑岩、ホルンフェルス、泥岩、砂岩などがある。
チャートのれきの表面はかなり風化されている。このため地層全体として白い感じを与える。しかし砂れき層中にはさまれる砂層やシルト層は赤かっ色になっていることが多い。
砂層は長石が多く、花こう質である。地層の厚さほ瑞穂運動場付近で35mくらいであるが、濃尾平野の地下ではもっと厚くなる。
唐山層ほつねに八事層におおわれていて、唐山層独自の堆積面をもたない。両層が整合であるか不整合であるかに考えられる古生層が変成されてできたものであるから、内部の構造は美濃帯のものと似ている。
しかし濃尾平野の基盤として考えられるものは、中生代末に美濃帯、領家帯の境付近に貫入した新期の花こう岩であろう。瀬戸市付近に露出する花こう岩の絶対年令については、7300万年、6400万年という値が報告されている。
地下深所に貫入したこれらの花こう岩は、その後の隆起で表面の古生層は浸食、肖剥され、ついには花こう岩も地表に露出するに至った。隆起が止んでも風化や浸食は続いたので、山地は次第に低くなり、起伏の少ない平たんな地形となった。このときの地形を準平原というが、その後の隆起で、その一部は現在の愛知県東加茂郡、額田郡などの三河高原(三河隆起準平原)と呼ばれる平たん面となって残っている。

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