名古屋市港区の干拓(新田)について(1)名古屋市古民家耐震の参考として

名古屋市古民家耐震の参考として

愛知県名古屋市港区干拓地 稲富新田について

文政三年(1820)に栗田兵部によって開発。荒子川の河口部にあたる。

内海屋(内田忠次郎)も開発資金を出したという。稲富の地名はもと「稲留」 だったという。

明治二年には荒廃地のため無税となったという記録もあり、明治九年に永徳新田と合併し、明治11年に稲永新田の一部となる。

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