濃尾平野の地史(2)

基盤岩類-2

美濃帯は、砂岩、頁岩、れき岩チャートを主とする古生層から構成され、石灰岩や輝線凝灰岩は少ない。
濃尾平野の北と西に露出する赤坂、伊吹、藤原の石灰岩は山頂部を占めており、他の帯から南へ移動してきたものと主張する学者もいる。これらの山頂にある石灰岩を主とする部分は秋吉相と呼ばれている。石灰岩以外に化石はみられないが、これらの地層ほたいてい二畳紀層で、石炭紀層は少ない。また化石はフズリナなどの有孔虫やサンゴ、腕足貝を主とするが、いずれも浅く暖い海のものである。岐阜市北方の低い山地では、かたいチャートが突き出して山稜をつくっているが、その慣斜は,複雑な褶曲のために変化がはなはだしい。花こう岩の貫入を被った部分は熱変成作用を受けて、ホルンフェルスとなっている。
領家帯は片麻岩と花こう岩とが複雑にいりくんだ構造をもっているが、片麻岩はもともと美濃帯と連続していたと考えられる古生層が変成されてできたものであるから、内部の構造は美濃帯のものと似ている。しかし濃尾平野の基盤として考えられるものは、中生代末に美濃帯、領家帯の境付近に貫入した新期の花こう岩であろう。瀬戸市付近に露出する花こう岩の絶対年令については、7300万年、6400万年という値が報告されている。

地下深い所に貫入したこれらの花こう岩は,その後の隆起で表面の古生層は浸食、削剥され、ついには花こう岩も地表に露出するに至った。隆起が止んでも風化や浸食は続いたので、山地は次第に低くなり、起伏の少ない平たんな地形となった。このときの地形を準平原というが、その後の隆起で、その-部は現在の愛知県東加茂都,額田郡などの三河高原(三河隆起準平原)と呼ばれる平たん面となって残っている。

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