濃尾平野の地史(4)

第二瀬戸内期以後の濃尾平野

鮮新世に入ると、日本列島に進入していた海はかなり退き、瀬戸内区の中新世の堆積盆地群は陸化した。鮮新世後半になって再び堆積作用が始まる。この時期を第二瀬戸内期と呼ばれている。
陸化期に花こう岩類の露出する山地は風化、浸食され、中国地方でほ再び準平原化作用が行なわれたと主張する学者がいる。
濃尾平野でも、この2度目の準平原の存在を積極的に主張する証拠が少なくない。瀬戸や多治見の陶土層はこのような時期の堆積物とみられている。つまり,長期間の風化で石英以外の鉱物はほとんどすべて分解されて粘土や溶解物となり、小起伏の準平原の凹地にはこれらの風化物がたまり、石英はけい砂層をつくり、粘土は陶土層をつくったのである。
鮮新世に入って、瀬戸内区は再び沈降を始め、浸食地域から堆積地域に転化した。こうして第二瀬戸内期に入った瀬戸内区の基盤の運動は、第一瀬戸内期に比べて明瞭な差異があらわれる。
それは基盤の傾動運動で、瀬戸内区はこの傾動運動によって山地と盆地に分けられていった。

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