名古屋市港区の干拓(新田)について(14)

名古屋市古民家耐震の参考として

愛知県名古屋市港区干拓地 藤高前新田について(2)

現在はかつての新田をたすき掛けに名四国道が走り、対岸の飛島村梅之郷にかけて日光川大橋がかかっている。かつては堤防の決壊することしばしばあったが、大空10年の決壊以来堤防は補強され往年の憂いも一掃されている。堤防外でも大潮のとき(新月または満月の一、二日後)には砂地が見える。最近は土地改良事業も進み、用悪水路の改善で、収穫も一段高まっているという。
干潮となると地面があらわれるという藤高前新田地先の藤高新田字千鳥六八四番地は新田開発の失敗地でもある。伝えによれば渡辺甚左衛門という人が明治初年に埋立てたという。始め樋門を取り付けたがその後の経営のメドが立たず、その後宇野彦吉という人が手をつけたがこれ亦成功出来なかった。

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