名古屋市港区の干拓(新田)について(19)

名古屋市古民家耐震の参考として

愛知県名古屋市港区干拓地 宝来新田について

文政五年(一八二二)熱田大宮司千秋家によって開発。所謂、名義拝借による開発施行である。通常、大宮司新田とも呼ばれていた。一説では出資者は戸田村の山田弾六だともいわれていたが不詳。「蓮台越」という字名は蓮台に棺桶を載せて川を越して、墓地に運んだ処がその名を残したという。
その後、万延元年大風高浪にて堤千五百八十間破壊、明治元年、明治三年と暴風による被害を受けた。

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