愛知県古民家の特徴について(17)

釜屋建形式は、現存遺構とすでに公表された資料で、三河の豊川流域から遠江の天龍川流域にかけて分布していた農家形式であるとされてきた。しかし昭和57年に静岡県磐田市で、文久三年(1863)の明記のある遠江国豊田郡匂坂中村の絵図が発見され、必ずしも農家に限ったものでないことが判明した。愛知県側では現在のところ、これらに類する史資料は発見するに至っていない。
文久三年の匂坂中村絵図は、村の耕作地・用水・道・屋敷地・社寺地が色分けされ、社寺と農家の姿図が各敷地内に描かれている。すべての家屋の姿図は描かれていないが、全体の90%強になるものと判断されるものである。

これによれば、社寺にも釜屋建4棟の姿を明確に捉えることができる。この社寺は、増参寺(永禄七年・1564・岩田寺と蔵参庵併)、養明寺(延徳二年・1490)、岩田明神(不詳)、大智院(天正七年・1579)などである。
しかし現在は建替えられて文久年間の姿を見ることはできない。また、この地方だけの社寺に釜屋建が採用されたのか、他の地方にも採用されていたかは現在のところ不明で、今後の調査研究に期待するところ大である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)