愛知県古民家の特徴について(19)

現存の遺構からは、江戸中期(18世紀初期)から明治初期(19世紀末期)までに建造された形式を知ることができた。これら建造年代を明確にする史資料は、現在のところ現物以外に有力な手懸りは発見されていない。先の文久三年が直接関係する唯一の史料である。匂坂中村絵図を検討すると、天龍川の東側にあって現在は磐田市である。東西386間(約700m)、南北606.1間(約1,100m)でおよそ23万4千坪(77ha)である。家屋の姿図の総数116戸(屋敷1棟の計算で附属屋を除く)で、社寺の釜屋建4棟、直屋6棟、農家の釜屋建35棟、直屋に片流れ屋根3棟、小型の直屋67棟、2階建1棟、その他は屋敷のみの書き込みがある。

この絵図1枚で結論づけることはできないが、社寺に釜屋建があったことからして、
農家の釜屋建は頭百姓以上の格式をもち、小型の直屋は一般の小作百姓の構えであったのかも知れない。

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