愛知県古民家の特徴について(30)

明治29年の牧田川・揖斐川・長良川・木曽川の大洪水で輪中の被害が最大であった様子が分かる。鈴村ソトム氏の『岐阜県輪中地帯、主として羽島郡、養老郡に於ける水害対策の概況』(日本建築学会)によれば、大垣市南部や安八郡の輪中は浸水が天井より二階上に至り、海津郡に属する地方では平均して鴨居の位置である。羽島郡に於ては正木村(現羽島市正木町)以南は地上6~9尺(1.8~2.7m)位の浸水、それ以北の地方(現柳津町)は床上浸水1~4尺程度であったと報告されている。城戸久博士の『城と民家』(毎日新聞社)によっても同様である。これらの位置から、さらに南下した愛知県側の立田村(立田輪中)、弥富町(五明輪中・森津輪中)に至っては、総ての家々が鴨居以上に浸水の被害を受けたことが推測できるのである。
水屋には、倉と名付けられるもの、離れ屋・住居と名付けられるもの、倉と臨時住居と名付けることのできるものがある。これを中沢弁次郎氏は『輪中集落地誌』に、米倉式水屋、高座敷式水屋、水屋式住居の3つに区別している。以上を総合してみても、特に格式ある場合は別として、一般には江戸末から明治初期にかけて普及した水屋と考えられるのである。

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