愛知県古民家の特徴について(18)

釜屋建の事例は、圧倒的に農家遺構に代表され、居宅(主屋・居室の床を張った棟)と釜屋(にわ・厩・内倉)の棟(構造とも)を別に構え、平面(間取)では一体を構成する形を造っている。

先述した釜屋・釜屋建・周施釜屋・撞木・撞木造・別棟・分棟・二棟造などと呼ばれている。これらは飽くまでも外観や構造的な要素からの呼称である。居宅は住居専用に構成され、釜屋は出入口・炊事場・内倉・納屋・厩などの多目的な用途に使用されてきたものである。しかし、居宅と釜屋は両棟の軒を接続して建造し、軒の接続部に谷樋を掛け、屋内構成は-体をなしている。

したがって、居宅と釜屋では別の棟であっても、生活や屋内作業場は同一条件の中にあり、二つの棟で一軒の家としての条件が整い、屋内は通常の直屋と何ら変ったところはないと言ってよい。

愛知県古民家の特徴について(17)

釜屋建形式は、現存遺構とすでに公表された資料で、三河の豊川流域から遠江の天龍川流域にかけて分布していた農家形式であるとされてきた。しかし昭和57年に静岡県磐田市で、文久三年(1863)の明記のある遠江国豊田郡匂坂中村の絵図が発見され、必ずしも農家に限ったものでないことが判明した。愛知県側では現在のところ、これらに類する史資料は発見するに至っていない。
文久三年の匂坂中村絵図は、村の耕作地・用水・道・屋敷地・社寺地が色分けされ、社寺と農家の姿図が各敷地内に描かれている。すべての家屋の姿図は描かれていないが、全体の90%強になるものと判断されるものである。

これによれば、社寺にも釜屋建4棟の姿を明確に捉えることができる。この社寺は、増参寺(永禄七年・1564・岩田寺と蔵参庵併)、養明寺(延徳二年・1490)、岩田明神(不詳)、大智院(天正七年・1579)などである。
しかし現在は建替えられて文久年間の姿を見ることはできない。また、この地方だけの社寺に釜屋建が採用されたのか、他の地方にも採用されていたかは現在のところ不明で、今後の調査研究に期待するところ大である。

愛知県古民家の特徴について(16)

構造形式は、断面図に示す上屋と下屋の架構造からなっている。
復原平面図の屋内に示す太い柱が上屋柱(入側柱ともいう)で、外側に示す柱を下屋柱(側柱)という。
柱に架かる横の材を総称して横架材という。横架材の中でも、上屋柱間に架け渡す梁を特に上屋梁という。上屋梁には胴梁(大梁)と叉首受梁があり、この梁の上下を連結する束が中央に立つ。
垂木を支える材を桁といい、桁には上屋桁と下屋桁がある。また、下屋柱の横振れを防ぐために、柱の胴を貫通する貫材があり、建具を入れるための敷居と鴨居がある。そして上屋組の上に大屋根を支える叉首組が乗り、上屋と下屋を連結する繋材(梁)がある。
鳥居建形式の部材には、先述した多くの名称があり、上屋の柱および胴梁・叉首受梁・上屋桁・束等の部材の組合せを軸組と称している。この軸組が先の断面図に示すように、梁間方向も桁行方向ともに同形の組合せになり、これが神社の鳥居の形になっている。このことから鳥居建の名称が生じている。

愛知県古民家の特徴について(15)

愛知県下に分布する古民家の形式について(15)

しかし、この事例は尾張における平野部の四例の土座式であるから、事例も少なく、これが県下一般であったことにはならない。

長野県塩尻市の小松家(重文)や香川県細江家(重文)のように、土間に直接筵を敷き囲炉裏を設けた18世紀初頭の構えもある。他県の2例は山間部であり、愛知県の場合は比較的温暖な平野部である例であり、気候による差異があることが十分考えられる。
床張りは三河と尾張の事例で、先の旧山内宅と永井宅である。土座式と同様に「にわ」と「居室」とに二分され、上屋柱の建つ位置と側柱位置の高低差が五寸(15cm)になっている。上屋柱と下屋柱に高低差があるのは、先述の土座式の構えから床張りに発展して残ったと思われる。床張り材は板とは限らず、竹や木をすのこ状に並べて、その上に筵を敷いていた事例もある。

このすのこの事例は、三河の下山村で18世紀末から19世紀初期の建造とみられる農家で、昭和30年代まで使用されていた例がある。
土座式と同様に屋内での間で仕切は全くなく、囲炉裏を居室のにわ側に設け、にわからも煮炊をするのに便が計られている。屋内の住まい方や屋内作業の使用状況は、土座式と大差なく使用されていたとされる。

愛知県古民家の特徴について(14)

愛知県下に分布する古民家の形式について(14)
鳥居建形式は広い分布範囲と多くの名称を集約したもので、それが言い違構で竪穴住居に起源するものと考えられる。
土座式の場合は、「にわ」と「居室」部分に二分され、その区切りの部分に丸太や、藁を丸めて俵を作り、居室の床に敷いた籾や筵がずれ落ちないようにしていた。
この籾や筵等は床面に空気の層を生じて、夏は涼しく、冬は暖かく調節する効果をもっている。
加えて屋根の草葺および土壁・茅壁等によって、身近にあるものを利用して外気の寒暖を蔽断した。
しかし採光を得るには不都合で、軒の低いことと柱間装置の袖壁付引込戸のため、暗い屋内であったことが解る。
寝室としての仕切り等には、衝立や屏風等が用いられていた。
炉や釜場は土間(にわ)に設けられて居室はなかった。

愛知県古民家の特徴について(13)

愛知県下に分布する古民家の形式について(13)

町屋形式は城下町としての江戸期の様子を簡単に知ることは困難であるが旧街道の宿場には江戸末期から明治初期にかけての町屋をみることができる。
尾張では清洲町、名古屋市西区四間道、緑区有松町、東加茂郡足助町、豊川市御油町、豊橋市二川町などに江戸末期から明治初期にかけての町屋をみることができる。
これらの中で特に町並みとして旧形状を保っているのは、名古唇市有松町、豊川市を挙げることができる。
その他は本体は旧の町並みを保ちながらも、正面の姿を改変したり家並みの連続性に欠けた歯抜けの旧状が残っている。
これらは整備することによって、旧の町並みを復活することができる町屋もある。

愛知県古民家の特徴について(12)

愛知県下に分布する古民家の形式について(12)

水屋構えが分布する範囲は、牧田川・揖斐川・長良川・木曽川の合流する河口地域の農村に集中していた。
愛知県側は弥富町・立田村・八開村・祖父江町などの木曽川の東側に建てられて、岐阜県では、揖斐川・長良川・木曽川の合流する地域一帯に分布していた。
また、尾張の中心を流れる庄内川の河口地域にも、水屋構えに似た構えが設けられ、庄内川下流域の形式は、平地屋敷で洪水どきに食糧や貴重品仏壇などを天井裏に収納できるように、天井裏に滑車を設けて開口部が用意されていた。
さらに静岡県の大井川下流域にも三角屋敷と称して、耕地より屋敷を高くして、周りに竹や木を植えて崩れるのを防ぎ、流れに向って鋭角に石垣の堤を築き、水を防ぐ工夫がされている屋敷が現存している。

愛知県古民家の特徴について(11)

愛知県下に分布する古民家の形式について(11)

水屋形式は、河川の氾濫に備えた屋敷構えであり、さらに屋敷内に特別に建設された生活や貯蔵用の建造物である。
この形式が何時の時代から出現したか明らかでない。
しかし、人が住み生活を営み始めたとき、天災による被害から身を守り、蓄財の保全を計るために考えられたものである。
通常にみられる水屋構えは、屋敷を耕作地より一段高く嵩上げし、さらに敷岸の一部に石垣を積み上げて高い地盤に造成し、その部分に土蔵式や離れ屋式に建物を造っている。
この石垣を積んだ構えには、船人場が設けられて河川の氾濫のときに建物の下に船の出入りができ荷物を水屋から出し入れができるようになっている。
この船入りの形は総ての水屋構えに設けられた訳ではない。
石垣を積み上げ、その上に建物を造り、外側から段のある登り口を設けて出入りのできる水屋構えが少なくなかった。

愛知県古民家の特徴について(10)

愛知県下に分布する古民家の形式について(10)

町屋の船枻造りは旧街道筋にみられ、江戸末期から明治にかけて中二階建の形式として現われている。
二階建となっても軒の出の部分に、登梁や挿肘木を採用し鼻桁(出桁)を付けて、天井を張った軒部をみることができる。
船柑造の形式は外観上と構造での呼称であって、間取りからの名称ではない。
初期の目的は、山間農家において雨や積雪に対して、軒の出が要求された実生活の体験と工夫から発生したものと考えられる。
それだけに特に古い形式がみられないし、上屋組の構造で下屋の構成が除かれ、軒回りに天井を張るなど、発達した様子を知ることができる。
また、一般的には18世紀以降になると架構造に変化がみられるが、船枻造では曲材の使用が少なく、直材で長尺物が採用されているのも特徴といえる。
平面では多室型で、喰違五間取型の土間側にひと部屋が張出した形である。
また、縦型に六室を並べ土間側にひと部屋を張出したのもある。
規模は桁行9間、梁間4間半から桁行10間、梁間7間半までの間に集中し大型の構えである。

愛知県古民家の特徴について(9)

愛知県下に分布する古民家の形式について(9)
船枻造は軒部の架構部分に特徴があって上屋の叉首受梁が側の柱(上屋柱)よりも外に突き出て、これに叉首を突き差し茅草屋根を構成し梁の突き出た部分に天井を張っている。
この形が船の船尾の造りに似ていることから船枻造の名が付けられた。
江戸末期(19世紀初期から中期)になると山間部での養蚕が盛んとなり住居内での生産が天井裏(小屋組内)に移って小屋組を改め天井裏空間の活用を目的とされた。
このとき、茅葺屋根の暗い天井裏から切妻造の屋根に改めて採光を取り易くするため軒高を高くしている。
軒の出も9尺強(3m)におよび雪や雨の軒下の活用を考え小屋の中は柱や束を少なくして登梁を採用し作業空間を形成している。