愛知県古民家の特徴について(14)

愛知県下に分布する古民家の形式について(14)
鳥居建形式は広い分布範囲と多くの名称を集約したもので、それが言い違構で竪穴住居に起源するものと考えられる。
土座式の場合は、「にわ」と「居室」部分に二分され、その区切りの部分に丸太や、藁を丸めて俵を作り、居室の床に敷いた籾や筵がずれ落ちないようにしていた。
この籾や筵等は床面に空気の層を生じて、夏は涼しく、冬は暖かく調節する効果をもっている。
加えて屋根の草葺および土壁・茅壁等によって、身近にあるものを利用して外気の寒暖を蔽断した。
しかし採光を得るには不都合で、軒の低いことと柱間装置の袖壁付引込戸のため、暗い屋内であったことが解る。
寝室としての仕切り等には、衝立や屏風等が用いられていた。
炉や釜場は土間(にわ)に設けられて居室はなかった。

愛知県古民家の特徴について(13)

愛知県下に分布する古民家の形式について(13)

町屋形式は城下町としての江戸期の様子を簡単に知ることは困難であるが旧街道の宿場には江戸末期から明治初期にかけての町屋をみることができる。
尾張では清洲町、名古屋市西区四間道、緑区有松町、東加茂郡足助町、豊川市御油町、豊橋市二川町などに江戸末期から明治初期にかけての町屋をみることができる。
これらの中で特に町並みとして旧形状を保っているのは、名古唇市有松町、豊川市を挙げることができる。
その他は本体は旧の町並みを保ちながらも、正面の姿を改変したり家並みの連続性に欠けた歯抜けの旧状が残っている。
これらは整備することによって、旧の町並みを復活することができる町屋もある。

愛知県古民家の特徴について(12)

愛知県下に分布する古民家の形式について(12)

水屋構えが分布する範囲は、牧田川・揖斐川・長良川・木曽川の合流する河口地域の農村に集中していた。
愛知県側は弥富町・立田村・八開村・祖父江町などの木曽川の東側に建てられて、岐阜県では、揖斐川・長良川・木曽川の合流する地域一帯に分布していた。
また、尾張の中心を流れる庄内川の河口地域にも、水屋構えに似た構えが設けられ、庄内川下流域の形式は、平地屋敷で洪水どきに食糧や貴重品仏壇などを天井裏に収納できるように、天井裏に滑車を設けて開口部が用意されていた。
さらに静岡県の大井川下流域にも三角屋敷と称して、耕地より屋敷を高くして、周りに竹や木を植えて崩れるのを防ぎ、流れに向って鋭角に石垣の堤を築き、水を防ぐ工夫がされている屋敷が現存している。

愛知県古民家の特徴について(11)

愛知県下に分布する古民家の形式について(11)

水屋形式は、河川の氾濫に備えた屋敷構えであり、さらに屋敷内に特別に建設された生活や貯蔵用の建造物である。
この形式が何時の時代から出現したか明らかでない。
しかし、人が住み生活を営み始めたとき、天災による被害から身を守り、蓄財の保全を計るために考えられたものである。
通常にみられる水屋構えは、屋敷を耕作地より一段高く嵩上げし、さらに敷岸の一部に石垣を積み上げて高い地盤に造成し、その部分に土蔵式や離れ屋式に建物を造っている。
この石垣を積んだ構えには、船人場が設けられて河川の氾濫のときに建物の下に船の出入りができ荷物を水屋から出し入れができるようになっている。
この船入りの形は総ての水屋構えに設けられた訳ではない。
石垣を積み上げ、その上に建物を造り、外側から段のある登り口を設けて出入りのできる水屋構えが少なくなかった。

愛知県古民家の特徴について(10)

愛知県下に分布する古民家の形式について(10)

町屋の船枻造りは旧街道筋にみられ、江戸末期から明治にかけて中二階建の形式として現われている。
二階建となっても軒の出の部分に、登梁や挿肘木を採用し鼻桁(出桁)を付けて、天井を張った軒部をみることができる。
船柑造の形式は外観上と構造での呼称であって、間取りからの名称ではない。
初期の目的は、山間農家において雨や積雪に対して、軒の出が要求された実生活の体験と工夫から発生したものと考えられる。
それだけに特に古い形式がみられないし、上屋組の構造で下屋の構成が除かれ、軒回りに天井を張るなど、発達した様子を知ることができる。
また、一般的には18世紀以降になると架構造に変化がみられるが、船枻造では曲材の使用が少なく、直材で長尺物が採用されているのも特徴といえる。
平面では多室型で、喰違五間取型の土間側にひと部屋が張出した形である。
また、縦型に六室を並べ土間側にひと部屋を張出したのもある。
規模は桁行9間、梁間4間半から桁行10間、梁間7間半までの間に集中し大型の構えである。

愛知県古民家の特徴について(9)

愛知県下に分布する古民家の形式について(9)
船枻造は軒部の架構部分に特徴があって上屋の叉首受梁が側の柱(上屋柱)よりも外に突き出て、これに叉首を突き差し茅草屋根を構成し梁の突き出た部分に天井を張っている。
この形が船の船尾の造りに似ていることから船枻造の名が付けられた。
江戸末期(19世紀初期から中期)になると山間部での養蚕が盛んとなり住居内での生産が天井裏(小屋組内)に移って小屋組を改め天井裏空間の活用を目的とされた。
このとき、茅葺屋根の暗い天井裏から切妻造の屋根に改めて採光を取り易くするため軒高を高くしている。
軒の出も9尺強(3m)におよび雪や雨の軒下の活用を考え小屋の中は柱や束を少なくして登梁を採用し作業空間を形成している。

愛知県古民家の特徴について(8)

愛知県下に分布する古民家の形式について(8)

船枻造形式は、豊川・天龍川の上流域の山間部に分布している形式で、この形式は釜屋建形式とほぼ同時期で、江戸中期(18世紀初期)から明治初期(19世紀末)にかけてとみられる。
古い形式は茅葺の農家にみられ、町屋には新しい形式がみられる。
現存の遺構からは、農家の茅葺屋根の18世紀中期以前と判断できる建造にみられた。
屋根の改変によって板葺石置屋根になり、杉皮苦の石置屋根となり、その後にセメント瓦葺に変化してきたことを知ることができる。
分布範囲は東栄町・設楽町・作手村・津具村・豊根村である。
また、隣接する長野県の根羽村・天竜村や静岡県水窪町にもみられ北上して飯田市までの各町村にも同形式をみることができる。
建造期の古い農家は愛知県に現存しているが、他の多くは19世紀以降の建造が少なくない。

愛知県古民家の特徴について(7)

愛知県下に分布する古民家の形式について(7)

釜屋形式に類似する全国的な分布をみると、沖縄県・鹿児島県・佐賀県・愛知県・静岡県・千葉県などにも現存するが、間取り・構造・規模は異っている。
棟を2つ構え、2棟の軒が接する位置(谷)に樋を掛けて、平面(間取)的には一体をなすのと、別の構成になるものとがある。
また、高知県の高岡郡と幡豆郡の一部に大正時代までには見ることができたと言われている。
屋根の葺材料は、豊川・天龍川流域ともに茅や麦藁茸によるものが最初で、改変されて板・杉皮・瓦に変ってきたものである。先述の分布地方も茅葺によるのが少なくない。

愛知県古民家の特徴について(6)

愛知県下に分布する古民家の形式について(6)

釜屋そのものは、周旋釜屋が示すとおり煮炊を主とする端反(大釜)と小型の竈を設備し作業場や道具類を置くところである。
釜屋建には、居宅と釜屋の両者が同時期に建造される事例は稀である。
その多くは居宅が古く、釜屋は後になって建造されたのが一般である。それに転用材(古材)による建造も少なくない。
居宅の建造は、上屋高(骨組の高さ)が比較的低く、鴨居の位置近くに胴梁が架構されているが、釜屋の上屋高は居宅よりも桁高さ分だけ低く建造されているのが少なくない。

愛知県古民家の特徴について(5)

愛知県下に分布する古民家の形式について(5)

釜屋建形式は分布範囲が限られ、その建造期も江戸中期(18世紀初期)から明治初期(19世紀末期)に建造された形式である。
釜屋建形式の名称には、橦木造・周旋釜屋・釜屋建などが三河・遠江に残っている。
橦木は屋根伏の形がT型になっている。